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2006年2月 4日 (土)

グレンコーの虐殺(2)

1692年の事件発生から2月13日で314年が経つことになる。前回に書いたことは、日本でもよく知られていること。そして、今回の視点は次のようなものだ。

 キャンベルとマクドナルドって仲が悪かった?よかった?悪かったよね。
 兵士は120人もいるのに人数比で1/3の38人しか殺せなかったのは?
 マクドナルドそれともマキーアン?どっち。
 キャンベルお断りのお店がある?
当時の氏族の暮らしと(マク)ドナルド家の歴史を少し振り返り、現代への影響を少し記してみることにする。

当時の氏族の生活を知らないとよくわからないこともある。実は、当時の氏族は、マクドナルドとキャンベルがそうであったように、婚姻関係(例えば、アラスター・マキーアンの一番下の息子は、キャンベルの姪と結婚していた)もあって一見友好的な関係を持っているように見えても、その実は、隙あらば、家畜、食料の略奪などがしばしばあったのだ。なんだか、日本の戦国武将の時代ににているようにも見える。

特に、グレンコーのマクドナルドとアーガイルのキャンベルの間では、16世紀からマクドナルドが牛泥棒を繰り返したし、キャンベルは自分の領地を増やす野心を常に持ち続けたことから、争いが絶えなかった。グレンコーには、The Lost Valley と呼ばれる盗んだ牛を隠しておいた谷があることなども知られている。そして、マクドナルド一族のアラスター・マキーアンはオールドフォックスとあだ名されるぐらいに狡猾で、他の氏族を襲って略奪行為もしばしば行っていたとされている。つまり、他の氏族の食料や家畜を奪うこともしばしばだったマキーアンに対して、恨みもあって一族殺害などという行為にでたとも考えられている。映画になったロブロイ(実はキャンベル一族だし、マキーアンの親戚でもある:マキーアンの息子の嫁は、ロブロイの妹だった)だって、一応、牛ディーラーという本職があったけれど、その実態は牛泥棒だったのだ。

また、王に取り入ることで権力や勢力を拡大したい氏族(例えば、キャンベル)とハイランドのいうことを聞く王を復活させたい氏族(例えば、マクドナルド)の間の軋轢などは容易に想像がつく。17世紀半ばには、マクドナルドはジェームズ王復活を願うジャコバイトとして、キャンベルは、現在の政府を支援する氏族としても対立していた。
でも、婚姻などで親戚関係があるもの同士もいるなかで、ハイランド式の歓待を10日間も受ければ、兵士達の中には自分たちの使命を聞いたときに、それを漏らしたものもいるのではないかとも考えられている。そのために、多くの男達が生き残ることに成功したのではないかということだ。

次にマクドナルド一族の歴史を簡単にみてみることで、虐殺されたのはマクドナルドなのかマキーアンなのかがわかる。実はどっちも正しい。それは、グレンコーのマクドナルドは、代々その族長をマキーアンと呼ばれる一家が務めていたから。それは、次のURLを見てもらうとよくわかる。
  http://www.clandonald.org.uk/chiefs.htm
すでに14世紀には、2代目のロードオブアイルズから分派して、グレンコーのマクドナルドの族長が現れており、初代こそイアン(Iain)・F・マクドナルドであったが、2代目からは、その息子ということで MacIain(マキーアン)という名前で引き継がれている。
グレンコーの虐殺後にも、族長は引き継がれ19世紀半ばまで存続していることがわかる。そのあとは、族長がいない状態になっている。

グレンコーから南西に3キロほど離れたところにある宿 Clachaig Inn には "No Hawkers or Campbells" という看板がでていることで有名である。もちろん意味は、「押し売り、キャンベル お断り」である。この看板は、事件直後からあったわけではなく、もっと後世になってから掲げられたモノと考えられていて、いまでは復讐の意味合いは薄れ観光客を呼び寄せるのに一役買っているだけなのである。一度見てみたいと思うのはわたしだけではないだろうから、きっと成功した看板の一つに違いない。この宿は、グレンコーの山々と谷をウォーキングするときに絶好の拠点となる宿だそうだ。また、グレンコーのパブには、"no dogs, no hawkers, no Campbells"という看板もでているそうであるが、どのパブなのかを確かめたことはない。まぁ歴史上の悲劇も時間が経てば、資本主義の本家では、格好の客寄せのネタに使われるっていうこと。
彼の地にやってきたアメリカ、カナダ、オーストラリアなどからマクドナルド達は大いに溜飲をさげることだろうが、一方、同じようなキャンベル達はどう思うのだろうか。
まさにグレンコーを襲撃したキャンベルの兵士のひとりはアメリカに移民し、その子孫が20世後半に Clachaig Inn に立ち寄ったときのことを書いた掲示板をみたことがある。
 「わたしはあの忌まわしいキャンベルの子孫の一人だ。」
 「300年たっても許されないのか?」
 「パブでビールを1パイント頼んだほかは、じっと口を閉じているしかなかった。」
 (記憶のままに書いているので、細部はちがうかも)
こうなると、スコットランドを離れるぐらいだったキャンベルは少しかわいそうになる。末端の兵士達は、命令を実行しなければ、自分たちもそういう目にあっていたかもしれないのだから。

ここで言いたかったのは、”虐殺”という面ばかりでなく、当時の氏族の暮らしに、それを産むような争いもあったということ。また、そんな争いが結局国として一枚岩になれないスコットランドの独立を奪うことにつながっていくということ。

独立を完全に失う1707年の条約とその前後の出来事については、あらためて書こうと思う。

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