2006年11月17日 (金)

英国の鉄器時代はケルト人によってもたらされた?

最近、ケルト人は本当に大挙して大陸から英国諸島にやってきたのか?ってことに関心があって、いろいろ本を読んだりネットで検索して、いくつか記事を書いた。

このところ、全くの門外漢なのに、遺伝子解析の論文を読んでみた。手法が正しいかどうかを判定するほどの理解をしていないので、この結果が受け入れられるモノかどうかわからないけれど、2004年にでたとても面白い論文を読んだ。

前に、英国の新石器時代は、約7000年ぐらい前にイベリア半島からやってきた人々によってもたらされた可能性が高いことやその後にアングロサクソンやヴァイキングの侵入はあっても、いわゆる中部ヨーロッパのケルト人が大挙してやってきた痕跡は見あたらないという遺伝子解析の記事を紹介した。

今回読んだ論文も、以前の記事に取り上げられていた学者とは全く異なるのに、それと対応するような内容となっていた。ますます、中部ヨーロッパにいたケルト人は、英国諸島にやってきていないという説が有力になっていると思える。

ミトコンドリアDNAの解析、Y染色体の解析、常染色体解析を組み合わせて行う解析を実施して、どのような人的移動があったかを明らかにしようとしているものであった。

北イベリア半島から西フランスをへて西ノルウェーとアイルランド、ブリテン島には、古くから共通の性質が見られることがわかり、石器時代からの共通の遺伝子があることを指摘している。また、現在ケルト語を話す地域の人々と中央ヨーロッパの人々とは、大きなつながりがなく、ブリテン諸島に鉄器時代をもたらしたのは中央ヨーロッパからやってきた”ケルト人”であるというアイデアは、ミトコンドリアDNAからもY染色体からも支持されないということを指摘している論文なのである。

ブリテン諸島に鉄器時代をもたらしたのは、中央ヨーロッパからやってきたケルト人であるというのはほとんど考古学的な裏付けがないことと、さら最近は、それを否定するような遺伝子解析の結果もあるから、さらに深い解析をやってみたという主旨のことがこの論文のイントロに書いてあって、まさにわたしが知りたかったことを検証していたという印象を受けたのだ。

きっとこれから先は、考古学者も鉄器時代がどうやってブリテン諸島で始まったかについて、中央ヨーロッパ出身のケルト人が持ってきたというのとは別の視点で考えてくれるだろう。

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2006年11月16日 (木)

英国人の先祖は7千年前にスペインからやってきた

最近、ケルト人は本当に大挙して大陸から英国諸島にやってきたのか?ってことに関心があって、いろいろ本を読んだりネットで検索している。

このサイトは英語であるけれど、関心のある方は一度見て欲しい。
一般的には、紀元前1000年ぐらい前からケルト人が英国にやってきたことになっていて、さらに、ローマ帝国におされた時代にベルガエ人が大挙して英国諸島に移住してきたことになっている。

しかし、スコッツマンの記事が紹介しているのは、遺伝子解析によって、英国諸島には、ちょうど新石器時代が始まるのと同じ時期つまり約7000年前に、いまのスペインであるイベリア半島から人々がやってきたことがわかり、その後の中央ヨーロッパからの遺伝子はあまりなく、アングロ・サクソンとデンマーク系ヴァイキングの侵入とさらにノルウェー系のヴァイキングの移住が見られるということがわかったというのである。

これはとても重要な結果を示している。これまで考えられてきたものは次のようなものであった。
1)新石器時代をもたらした人々がどこからやってきたのかもよくわかっていなかった。
2)紀元前2600~1900年頃(約4600~3900年前)に、青銅器文明をもたらしたビーカー人がきたことになっていた。
3)紀元前900~600年(2900~2600年前)にブリテン島にケルト人がやってきて鉄器文明をもたらしたことになっていた。

つまりこのようになるってこと。
1)新石器時代をもたらしたのは、イベリア半島からやってきた人々。
  これをケルト人とこの記事では呼んでいる。
2)その後、青銅器文明をもたらした人々も鉄器文明をもたらした人々も
  大きな遺伝子上の影響を与えていない。
  つまりローマ帝国におされたケルト人の大規模な移住はなかったってこと。
3)アングロ・サクソンとヴァイキングの移住は大規模で遺伝子上の影響は大きかった。
ってことになる。

気になったのは、7000年前に英国にやってきた人々をケルト人としていたこと。
このとき既にイベリア半島に住んでいた人々がケルト人だったかどうかは確定していなかったはず。単に遺伝上のグループとしてケルトと呼んでいるだけのようで、これまで言われていた中央ヨーロッパに広がったケルトと同じかどうかについては言及がない。

これが本当なら、英国の歴史を大きく書き換える結果になるだろう。
新石器時代から青銅器時代、鉄器時代への移行を大規模移民なしに説明する必要があるのだ。

ケルト系言語の伝播についても考えなければなるまい。

今後の研究が楽しみである。

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2006年3月15日 (水)

ダリエン計画 Drien Scheme

しばらく、蒸留所名のゲール語解読をまとめてやっていたけど、歴史物も忘れたわけではないことをちゃんと示しておこうと思う。

日本ではなかなか語られない事件と思うけど、このダリエン計画こそスコットランドが本当の意味で独立を失う契機となった事件だと思うので、スコットランド贔屓としては取り上げておく。

1695年 スコットランド議会は、スコットランドも植民地をもって、国力をつけるべきだという観点から Company of Scotland Trading to Africa and the Indies という国策会社の設立を承認した。アフリカや南北アメリカの人々にとっては迷惑な決断であるが、当時のヨーロッパとしては、自然な流れだったのだろう。

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2006年2月 4日 (土)

グレンコーの虐殺(2)

1692年の事件発生から2月13日で314年が経つことになる。前回に書いたことは、日本でもよく知られていること。そして、今回の視点は次のようなものだ。

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2006年2月 3日 (金)

グレンコーの虐殺(1)

アイルランド系サッカークラブがスコットランドにできた理由を書いたら、わたしの中に巣くっていた歴史小僧が暴れ出したようだ(笑)。しばらく、スコットランドの歴史のことをサッカーとゲール語の合間に書いていこうと思う。まずは、スコットランドの歴史の中でも悲劇として知られるグレンコーの虐殺を取り上げる(たぶん2回ぐらいにわけて)。

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2006年2月 1日 (水)

スコットランドのアイルランド人

スコットランドプレミアリーグには、3つのアイルランド由来のチームがある。一つは、グラスゴーにあるご存じセルティック、エディンバラにあるヒバーニアン(ヒバーニアンは、クロアチア・ザグレブを戦力外になったカズが一時テストを受けるためにトレーニングに参加していたチームでもある)であり、もう一つはダンディ・ユナイテッド(かつての名前は、ダンディ・ヒバーニアンさらにその前は、ダンディ・ハープだった)である。

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